画像撮影日:2017年6月26日





飯盛山・三浦大師・妙音寺は「新編相模国風土記稿」によれば、今から400年ほど前(天正年間、1580年代)に中興の祖、賢栄法印により、「昔の寺地、妙音寺原(現在地より北へ二キロの台地)より移し、建設されたもの」とある。当時は戦国大名の一人である小田原北条氏の雨乞いの祈願所として庇護を受けていた。その後、江戸時代に入り、長期にわたる無住職時代や明治時代の廃仏毀釈令、戦後の二町歩にも及ぶ農地解放等各時代に於いて、盛衰をきわめたが、大師信仰を求める地域信者や檀信徒の献身的な努力により伽藍や境内の維持がなされてきた。本尊は不空羂索観世音菩薩で江戸初期のものとされている。又、諸仏には弘法大師、末那板不動明王(秘仏、12年に一度、酉年4月28日より1ヶ月間開帳)ぼけ封じ白寿観音、迦陵頻伽、地蔵尊、鶴園福禄寿、(三浦七福神の1つで、毎年元旦より1月末まで開帳、約1万人の参拝者)が祀られている。妙音寺では近年、境内の整備が進められ、裏山(通称花山)には大日如来を中心とした、174体の石仏からなる花山曼荼羅が建設された。この花山には、桜、つつじ、椿を始め、自生の山ゆり(山ゆり祭り=6月下旬実施)、水仙等の花木が四季を問わず咲き乱れ、参拝客の目を楽しませている。
三浦大師
妙音寺の紫陽花

Hydrangea
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