【学名】Hibiscus mutabilis f. versicolor 【分類】アオイ科フヨウ属の落葉低木。
【分布】原産地は中国、日本。 【花期】9〜10月
【特性】日当たりのよい場所に、地植えするのがよい。フヨウと同じく肥えた土地を好み、防寒、防湿の必要はとくにない。
【花言葉】 繊細な美、しとやかな恋人遠く平安の頃から観賞され、人々に愛されてきた芙蓉の花。
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芙蓉・・・。
古くから栽培されているにもかかわらず、ムクゲと違って変異が出にくく、品種はあまり多くありません。
その数少ない園芸品種の一つが酔芙蓉です。
芙蓉は中国ではもともと「蓮の花」のこと。
水の中に咲くものを水芙蓉、木に咲くものを木芙蓉と呼んでいました。
日本では、蓮を芙蓉という習慣がないので、芙蓉といえば木芙蓉のことを指しました。
朝に咲き、夕方には萎んでしまう一日花で早朝に開花したときには本来の淡紅色。
夕方になるにしたがって、その色は次第に濃くなり、そして萎んでいきます。
ピンクの大きめの花をつけます。ムクゲ(木槿)やハイビスカスと同じアオイ科の仲間です。
尚、フヨウにはピンクのものが多いようですが,白い花が咲くものもあります。
芙蓉は、全国各地の庭先や公園など、どこででも目にすることができますが、
群生している名所となると寺の境内が多いようです。 |
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酔芙蓉・・・。
酔芙蓉はフヨウ(芙蓉)の園芸品種で朝に白い花を咲かせますが、
午後になるとだんだんピンクにかわり夕方から夜にかけてさらに赤くなり、
翌朝にはしぼんでしまいます。酒を飲むと顔色がだんだんと赤みを帯びるのに似ていることから
このさまを酒飲みの顔がだんだん赤くなってくることにたとえて「酔う芙蓉」ということから
この名がついたといわれています。酔芙蓉となるとなかなか群生しているところは少なく、
千本以上あるところは珍しいようです |
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南足柄の酔芙蓉農道 |
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南足柄市千津島地区の酔芙蓉農道
農道1qの間に酔芙蓉700本と芙蓉100本が植栽されています。
酔芙蓉は朝咲く白い花が時間の経過とともに桃色を帯び、夕方には紅色へと
色が変わりまるで近くを流れる酒匂川の水に酔ったようだと話題を集めています。
また、周辺の田んぼの畦には赤に混じって白いリコリスも咲き、
華やかな花の競演を楽しむことができます。
駐車場は「ふくざわ公園」そばにあります(25台)
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鎌倉・妙法寺の酔芙蓉 |
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妙法寺は日蓮が安房(千葉県)から建長五年(1253)に鎌倉に入り、
初めて松葉が谷に草庵を結ばれた日蓮宗最初の場所です。
その跡に護良親王の遺子日叡が延文2年(1357)に寺を再興しました。
境内に本堂・大覚堂・仁王門・法華堂・鐘楼が建っており、別名苔寺として
知られています。本堂は総ケヤキ造りになっており、寺宝の日蓮上人坐像や
本尊釈迦三尊坐像が安置されています。
尚、天井や欄間には極彩色の絵や彫刻が施されていますが公開していません。
また、苔の石段の上に建つ法華堂には日叡作といわれる厄除祖師像が
安置されていて、9月12日のみ公開されています。
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鎌倉・収玄寺の酔芙蓉 |
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収玄寺(しゅうげんじ)は神奈川県鎌倉市にある日蓮宗の寺院で、
山号は四条山。本尊は十界曼荼羅です。
日蓮聖人の四大法難のひとつである龍口法難(1271年、文永8年)の際、
宗祖日蓮と共に殉死の覚悟を決した鎌倉武士の精粋四条金吾頼基公の
屋敷跡で金吾の滅後、捨身護法・法華色読の霊地として一寺が建立されたもの。
現在境内には多くの花木・野草の類が植えられており、花の寺としても知られています。
文政年間(1818〜30)の創立と言われ、創立当初は収玄庵と称したが
大正末期の本堂改築を機に寺号も収玄寺と改称しました。 |
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鎌倉・長谷寺の酔芙蓉と百日紅 |
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長谷寺は、観音山の裾野に広がる下境内とその中腹に切り開かれた上
境内の二つに境内地が分かれており、入山口でもある下境内は妙智池と
放生池の2つの池が配され、その周囲を散策できる回遊式庭園となっております。
その回遊式庭園にはハナショウブや四季折々の花木に彩られています。
通年花の絶えることのないその様相は、「鎌倉の西方極楽浄土」と
呼ぶに相応しい風情を呈しております。尚、上の境内には、
本尊である十一面観音菩薩像(長谷観音)が安置される観音堂をはじめ、
主要な諸堂宇が建ち並ぶほか、鎌倉の海と街並みが一望できる「見晴台」と
傾斜地を利用した「眺望散策路」があります。
芙蓉、百日紅は、下境内や上境内に見られます。 |
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鎌倉・宝戒寺の酔芙蓉と百日紅 |
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宝戒寺(ほうかいじ)は神奈川県鎌倉市にある天台宗の寺院で、
金龍山釈満院円頓宝戒寺、本尊は地蔵菩薩です。
宝戒寺は萩の名所として知られ、「萩の寺」とも呼ばれています。
ハギの寺と呼ばれるとおり参道と境内に約600本のシラハギが見れます。
また、境内の一隅には「白いヒガンバナ」梅も20本ほどあり、
本堂前の「宗園梅」と命名されたシダレウメは見事です |
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鎌倉・妙隆寺の酔芙蓉と百日紅 |
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妙隆寺(みょうりゅうじ)は、神奈川県鎌倉市にある日蓮宗の寺院で
山号は叡昌山。本尊は釈迦牟尼仏です。南朝元中二年・北朝至徳二年(1385年)。
七堂伽藍を建立して妙親院日英上人を迎えて開山し、叡昌山と号した。
日英上人は、千葉氏ゆかりの埴谷氏の出身である日親上人の叔父にあたります。
日英上人は、武蔵・上総・下総・伊豆新島・京都等々に及んで活躍され、
七ヶ所にわたる講演職をつとめて居られた方です。第二祖は久遠成院日親上人。
厳しい修行を積み、足利義教将軍に「立正治国論」を建白しようとしたが捕らえられ、
焼き鍋をかぶせられる極刑を受けました。
それに由来し、「鍋かむり日親」と呼ばれるようになったそうです。
尚、日親上人は拷問を受けても所信を曲げない人物であったという。
境内には日親が水行したとされる池が残されている。 |
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座間・星谷寺の酔芙蓉 |
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星谷寺(しょうこくじ・ほしやでら)は、神奈川県座間市にある真言宗大覚寺派の寺院で、
山号は妙法山。院号は持宝院。本尊は聖観音で坂東三十三箇所第8番札所です。
聖武天皇の御宇行基菩薩が諸国教化の際絢爛たる金光星の如く山谷に輝くのを見、
自ら聖観音の像を彫刻し、堂宇を営みました。
花山法皇が関東巡幸の際この霊場に立ち寄られ以後世を挙げ名所旧跡と唄導し、
坂東三十三ヶ所の第八番として巡拝者が日毎に多くなりました。
源頼朝公の信仰篤く徳川家康公からも帰依を受けました。
当寺には日中星の映る「星の井戸」をはじめ、「根下り紅葉の老木」
嘉禄3年(1227)の「撞座一つの梵鐘」(国重要文化財指定)「不断開花の桜」
「咲き分けの椿」など星谷寺七不思議として今に伝えられています。(境内掲示より) |
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