称名寺(称名寺庭園)の紅葉
金沢山(きんたくさん)称名寺(しょうみょうじ)は、真言律宗別格本山で本尊は弥勒菩薩。、金沢北条氏一門の菩提寺です。
鎌倉幕府の要人で、文学好きだった北条実時が六浦荘金沢の居館内に建てた持仏堂(阿弥陀堂)がその起源と言われています。
実時の孫・貞顕の時代には三重の塔を含む七堂伽藍を完備した大寺院として全盛期を迎えました。
その後、北条実時の孫・金沢貞顕(さがかね)が平泉の毛越寺をモデルに金堂や庭園などを造営しましたが、鎌倉幕府滅亡とともに金沢北条氏も滅び、以後寺運も衰退しました。
金沢貞顕が造営した庭園は、関東では珍しい浄土式庭園で境内の真ん中に橋が架かった大きな池があるのが特徴です。
現在ある庭園は、昭和47年からの大がかりな調査を経て、昭和62年、苑池の保存整備事業により、復元整備されたものですが、鎌倉時代の庭園の完成直後(1323)に描かれた「称名寺絵図並結界記(重文)」によって、伽藍の配置とともに苑池の姿を、ほぼ完全な姿で再現することができたそうです。庭園前に立つ案内板には、作庭には性一法師(しょういちほうし)が携わり、金堂の前には、満々と水が注がれた苑池を設け、青嶋石を使った90数個の景石を、大量の白砂とともに、中島や池の周囲に配置。また池の中央に中島。そこに架けられた反橋と平橋を渡って、金堂に達するようになっている。池には貞顕から贈られた水鳥が放たれ、ここに浄土庭園の完成が見られたとあります。

金沢文庫:称名寺と縁の深い金沢文庫は、実時が病で没する直前の1275年(建治元年)ころ、居館内に文庫を設けたのが起源とされています。
文庫には、実時が収集した政治、歴史、文学、仏教などに関わる書籍が収められていました。金沢北条氏滅亡後は、菩提寺の称名寺に文庫の管理がゆだねられたが、寺運の衰退とともに蔵書も次第に散逸した(中でも徳川家康や前田綱紀の持ち出した数はかなりなものだと言われる)「金澤文庫」の蔵書印が捺された古写本は、現在も日本各地に残っています。また嘉元4年(1306年)、称名寺造営料獲得のため元へ交易船(寺社造営料唐船)が派遣され、称名寺の僧である俊如房(快誉)が乗船したことが金沢文庫の古文書に見られます。
文庫は、1930年(昭和5年)、神奈川県立金沢文庫(かなざわぶんこ)として復興、県立図書館として活動してきました。
1990年(平成2年)には新館が完成し、現在は、中世文化に関する博物館兼図書館の役割を果たしています。中世の金沢文庫の跡に建つ現在の文庫には、称名寺の文化財などを展示する展示室と図書閲覧室があり、称名寺所蔵の文化財は、本尊弥勒菩薩像など一部を除いて、金沢文庫に寄託・展示されています。

京浜急行金沢文庫駅から柴町行きに乗ると10分程で称名寺バス停で降りると直ぐに朱塗りの赤門が、赤門をくぐると桜並木の参道が続き、突き当りには仁王門。鎌倉時代に造られた高さ4mの大きな仁王像が出迎えます。
仁王門横の通用門を入ると、阿字ヶ池を中心に中之島・反橋・平橋を配した「浄土庭園」が広がります。
浄土庭園の向こうには、緑豊かな金沢三山(金沢山・稲荷山・日向山)を背に金堂・釈迦堂・鐘楼(称名晩鐘)があります。
春の桜、初夏の黄菖蒲、秋の紅葉と四季折々の景観が美しく訪れる人の憩いの場所となっています。

所在地:神奈川県横浜市金沢区金沢町212番地外
行き方:京浜急行金沢文庫駅下車東口より柴町行きバス10分、金沢シーサイドライン海の公園柴口下車徒歩10分
     又は、金沢文庫駅から徒歩15分位 ※県立金沢文庫は、浄土庭園広場脇(3本の銀杏の木の裏)のトンネルを潜るとすぐ有ります。
画像撮影日:2020年11月26日

称名寺(称名寺庭園)及び称名寺市民の森MAP
 

        
 
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