鶴岡八幡宮の参道若宮大路は、1182年(養和2年)3月15日、源頼朝が妻政子の安産祈願のために造営を始めたのだと伝えられています。
曲がりくねっていた鶴岡八幡宮の社前の道をまっすぐにして、由比ヶ浜まで通じさせ、その中央に一段高く造られたのが「段葛」です。
若宮大路の造営と同じ時期に造られたものと考えられています。段葛は、日本に唯一残されている遺構。
若宮大路造営工事は、源頼朝が直接指揮したため、北条時政や畠山重忠などの有力御家人が携わったと言われています。
また、この「段葛」は、八幡宮に近づくほど道幅が狭くなっていて、遠近法で神社の権威を象徴するためと、敵の侵入時の防衛のために、このような工夫が施されたと考えられています。
明治時代まで何も植えられていなかったようですが、現在は、両側に桜の木が植えられていて「日本の桜名所100選」にも選ばれています。
現在の段葛」は、桜の木の根に押されて両脇の石積が崩れるようになり、2014年11月 4日から改修が行なわれ、土だった路面は特殊舗装が施され、桜の植え替えも行なわれました。
桜の苗木は、茨城・千葉・埼玉などから樹齢 5年程度の若い樹が移植されました。(尚、248本あった桜の樹も177本に減らされました。)

「鶴岡八幡宮」は、鎌倉市雪ノ下にあります。
その起こりは康平6年(1063年)にまで遡ります。奥州を平定した源頼義が鎌倉に戻った折、 加護を祈願した京都の岩清水八幡宮の分社を由比ガ浜に建てたのが鶴岡八幡宮の始まりです。その後、鎌倉に幕府を開いた源頼朝により現在の場所に神社が移され、社殿を中心に幕府の施設が形作られていきました。さらに、鶴岡八幡宮を源氏の氏神として信奉するようになりました。鶴岡八幡宮は鎌倉武士の守護神であり、栄華を誇った源氏の氏神でもあるのです。

八幡宮の境内にある「源平池」は1182年、頼朝の命によって造営されました。正面にかけられた太鼓橋をはさんで、右が「源氏池」、左が「平氏池」となっています。
3月下旬から4月上旬鶴岡八幡宮の境内では、染井吉野の花が咲き誇ります。特に、鶴岡八幡宮境内にある源氏池の周りに咲く染井吉野は源氏池の水面に映えて見事です。特に、太鼓橋脇に有る「ボタン庭苑:入場料大人500円」内から見ると、染井吉野と咲き誇った牡丹との共演は素晴らしい見事な景観です。
画像撮影日:2016年4月2日


         
鶴岡八幡宮参道「段葛」・「源平池」に咲く桜
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