北下浦水仙ロード
北下浦(きたしたうら)とは、神奈川県横須賀市南東部の地名です。
南側を三浦市南下浦に接し、北側は久里浜地区、東側は浦賀水道に面する地域で六地区で構成されています。
この六地区のボランティアグループ「水仙の会」により10年以上前から野比海岸通りを中心に水仙の植栽が行われています。
又、地域運営協議会では、「水仙の会」の活動を受け、さらに地域全体に広げようと、「水仙の会」と各町内会、自治会の協力により道路や公園、学校などに水仙を植栽し、北下浦を「水仙の花の咲く街」にしていく事業を進めています。
2008年度・2016年度にセブン-イレブンみどりの基金より緑化殖花助成を受け、野比海岸公園および野比海岸道路山側 水仙ロードづくり(水仙・ユリの植付け) を行っています。尚、当方は平日に訪問したため野比公園の画像は有りません。(野比公園の駐車場は平日は閉鎖されていますので土日に訪問することをお勧めします)
ピッドル公園・・・パシフィックホスピタル手前にあります。  (公園内設置看板より)) ペリー来航(1843年)の7年前、ピッドル提督が来航し、この広場前に停泊したところから、この広場をピッドル広場と呼んでいます。
1846年(弘化3年)三浦郡野比村の海岸から数キロほどの沖合いに、アメリカ合衆国の東インド艦隊司令官ピッドル提督が率いるコロンバス号と、ビンセンス号の2艘が来航し停泊した。来航の意図はアメリカ合衆国の公的施設として、日本国政府との通商を求めるものであった。
ピッドル艦隊は、武器・乗組員とも大船で、備えた大砲の数は、江戸湾に設置されたすべての台場の大砲の数よりも多く、台場もさほど効果がないことを思い知らされた。幕府はピッドル提督の申し出を拒否したため、艦隊は野比海岸沖を離れました。
この事件は、徳川幕府による鎖国政策の根幹を揺るがすものであった。
画像撮影日:2017年12月26日

2017年1月14日 野比公園の水仙         
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