葉山しおさい公園
JR横須賀線逗子駅・京浜急行新逗子駅からバス山手回り「一色海岸しおさい公園前」下車
葉山御用邸付属邸跡地に開設された公園です。三ヶ岡山を借景とした日本庭園には、流れ落ちる「噴井の滝」があり、茶室一景庵や潮見亭などの施設があります。海岸側にある黒松林からは、富士山や伊豆半島、大島などが一望できます。尚、当公園は、大正天皇崩御・昭和天皇皇位継承の地として町の史跡に指定され、園内には葉山しおさい博物館もあります。
(画像撮影日:2010.04.28)


   

安国論寺
安国論寺は、日蓮宗のお寺です。鎌倉時代の初期に、北条時政の屋敷・浜御所があった所に、建長5年(1253)、安房から鎌倉に入った日蓮上人が松葉が谷に来て、初めて草庵を結んだ所の一つです。日蓮上人は、20年この地で過ごし、その聖跡が寺となりました。文応元年(1260)日蓮上人39歳の時、ここ草庵で「立正安国論」を著して前執権・北条時頼に建白しました。その為、度重なる法難を受けました。安国論寺の裏山には、日蓮上人が松葉が谷焼き討ちの法難の際、白猿に袖をひかれて避難したと言われる南面窟があります。
    

高徳院(鎌倉大仏)
高徳院は、浄土宗のお寺です。本尊である大仏は、鎌倉幕府第三代執権・北条泰時の晩年になってから作り始めました。「吾妻鏡」によれば、北条泰時の時に、淨光という僧が諸国を勧進して浄財を集めて歩き、暦仁元年(1238)3月から大仏と大仏殿を造り始め、北条泰時もその建立に援助をしました。そして大仏開眼は5年後の寛元元年(1243)に行われましたが、泰時は前年の6月に62歳で亡くなっていました。尚、この時建立した大仏は木造です。そして4年後の宝治元年(1247)にこの大仏が暴風雨の為に倒壊したので、建長四年(1252)にあらためて金剛の大仏が造営されましたが、大仏殿は建武二年(1335)と志安二年(1369)の台風で倒壊。更に明応四年(1495)の大津波で押し流され、以来、現在の様な露座の大仏となってしまった。本尊の大仏は阿弥陀如来。阿弥陀如来の高さは12.38m、総重量は121トンです。


    

光則寺
光則寺は日蓮宗のお寺です。日蓮上人が佐渡へ流された時、高弟・日朗が捕らえられて鎌倉幕府第五代執権・北条時頼の重臣・宿屋左衛門尉光則の邸内の土牢に監禁されました。しかし光則は日蓮上人が自らの不運を嘆くことなく、弟子の身の上を案じる心に打たれ、次第に日蓮宗に心を寄せる様になり、日蓮上人放免後は、邸を寺として日朗を開山と仰ぎ文永十一年(1274)に創建されました。日蓮上人の著した「立正安国論」は光則の父・行時から、文永元年(1260)に北条時頼に建白されました。現在の本堂は慶安三年(1650)に建てられました。
(画像撮影日:2010.04.28)


      
 
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