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画像撮影日:2016.04.29
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経王寺






延命院

経王寺(日蓮宗の寺院)、山号:大黒山
最寄り駅「日暮里」から徒歩3分、「西日暮里:から徒歩6分。

要詮院日慶が開山、当地の豪農冠勝平(新堀村の名主冠権四郎家の祖)が開基となり、明暦元年(1655)当地に創建しました。
本堂の隣の大黒堂には日蓮上人の作と伝えられる大黒天が旧谷中七福神のひとつであり鎮守として祀られています。
また幕末、慶応4年(1868)の上野戦争に敗れた彰義隊士がここへ隠れたため、新政府の攻撃を受けました寺院でもあります。
その時に天保7年(1836)建立の山門には銃撃を受けた弾痕が今も残り、当時の激しさを今に伝えています。


延命院(日蓮宗の寺院)
最寄り駅「日暮里駅」から徒歩3分、「西日暮里駅」から徒歩6分。

下町の情緒あふれる谷中日暮里地区にあり、境内は大変静かで、樹齢600年のシイの木がしげっており、
都の天然記念物に指定されています。徳川家綱公の乳人・三澤局が開基となり、七面大明神社の別当寺院として
慶安元年(1648)慧照院日長上人により現在地に開創されました。寛永17年(1640)日長上人は家光公に城中に召され、
側室於楽方の男子出産と安産祈願を命じられ、翌年も家綱公の武運長久と国家安泰の祈願を命じられ、
家綱公が将軍位を継承すると共に、延命院は徳川幕府永代祈願所となり、爾来七面堂・書院・庫裡・釈迦堂・番神堂・宝珠稲荷堂など
諸堂宇が建立されていきました。その後、貞亨元年(1684)水戸光圀公の武運長久・国家安泰の祈願が縁で、
水戸徳川家の永代祈願所となりました。
他にも大奥最大のスキャンダルと言われた延命院事件(大奥女中達と二人の僧侶が道ならぬ関係ももって女犯を繰り返した事件)が
起きた寺院でもあります
谷中・経王寺/延命院のつつじ
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