京浜東北・根岸線「新杉田駅」、京浜急行線「金沢八景駅」より金沢シーサイドライン「野島公園駅」下車 徒歩5分
野島公園は、横浜市最南部平潟湾入口に浮かぶ小さな島の公園で、歌川広重に描かれた「野島夕照」で知られています。海抜57m の野島山を中心としてバーベキュー場、キャンプ場、野球場などの施設を備え、展望台からは横浜の海はもちろん、房総半島や富士山まで360 度の景色を見ることができます。
旧伊藤博文金沢別邸は、野島山入口脇有料駐車場裏に入口があります。初代内閣総理大臣を務めた伊藤博文公により、明治31年(1898)に建てられた茅葺寄屋根の田舎風海浜別邸建築で、平成18年(2006)11月、横浜市指定文化財に指定されましたが、建物の老朽化が著しかったことから、平成19年(2007)、現存しない部分を含め創建時の姿に復元工事が始まり、平成21年(2009)10月にぼたん庭園と併せて竣工しました。

入園口案内板より
この牡丹園は、かって野島にあった永島家の牡丹園を復元したものです。永島家は江戸時代の初めに、儒学者の祐伯(泥亀)が父と共に江戸から金沢に移り住み、新田開発を始めてから約200年後、祐伯から9代の忠篤(亀巣)が泥亀新田を完成させ、また、製塩業で成功を収めました。永島家の牡丹は、祐伯の孫の金七郎が酒井稚楽頭忠明から神田小川町の酒井家屋敷の庭園にあった牡丹数十種を拝領したもので、大切に育てられてきました。牡丹園の美しさは天保10年(1839年)の『相中留恩記略』に「花の頃は壮観なり」と記され、徳富蘆花もその著『自然と人生』に「金沢の牡丹を見に行った」と記すなど、江戸から明治・大正期にかけて多くの見物客が訪れました。現在の金沢区の花「牡丹」はこの牡丹園に由来しています。永島家と伊藤博文とは、亀巣の孫の亀代司が伊藤博文の夏の別荘の建設を請け負ったり、滞在中の伊藤博文の世話係を務め、さらには伊藤博文の推薦により衆議院議員選挙に立候補して当選しているなど深いかかわりのある間柄でした。
現在、永島家の屋敷の後は、住宅開発が進み、亀巣の偉業を讚える石碑が残るのみとなってしまったため、伊藤博文の旧金沢別邸の復元に伴い、その隣接地に牡丹園を整備しました。

                                                                         画像撮影日:0000年4月9日
旧伊藤博文金沢別邸牡丹園の画像

                              この下から、2012年4月29日に撮影した画像です
旧伊藤博文金沢別邸牡丹園の画像旧伊藤博文金沢別邸牡丹園の画像

                              旧伊藤博文金沢別邸パンフレット
 旧伊藤博文金沢別邸牡丹園近くには、龍華寺牡丹庭園があります。一緒に御覧なさっては如何ですか。  
旧伊藤博文金沢別邸牡丹園
inserted by FC2 system